政治・制度

刀狩令には何が書かれているのか|天正16年7月8日の「條々」を読む

天正十六年七月八日の日付を持つ「條々」は、諸国の百姓が刀・脇指・弓・やり・てつはうなどを所持することを堅く御停止とし、国主・給人・代官が取り集めて進上せよと定めています。取り上げた刀・脇指は大仏御建立の釘・鎹にするとも書かれています。翻刻された本文を読みます。
人物

真田幸村と信繁|史料ではどちらの名前が使われているのか

『高野山文書』の刊本に収められた「眞田信繁書狀」には、署名として「信繁」とあります。『翁草』の校訂本は、諸記録に「幸村」と記す、と述べています。同じ箇所で『翁草』は「信仍」という形も紹介しています。今回読んだ資料ごとに、どの名がどう現れるかを並べます。
人物

平将門|一次史料が記すことと、丸山忠綱が1953年に論じたこと

『日本紀略』は天慶二年から三年にかけての将門をめぐる動きを記し、『将門記』は将門が自ら「新皇」と号したと記しています。一方、丸山忠綱は1953年の論文で、神田明神と平将門の結びつきをどう考えるかを論じました。一次史料が記していることと、この論文が説明していることを分けて読みます。
文化・宗教

万葉集の撰者|本文に家持の名はどう現れ、1916年の解題は何と説明したか

『万葉集』巻第二十の末尾に置かれた歌には、「右一首、守大伴宿禰家持作之」という左注があります。本文には大伴家持の名が、その歌を作った人として繰り返し現れます。一方、同じ刊本の巻頭に置かれた1916年の解題は、撰者について古来種々の説があるとして複数を列挙しています。本文が記していることと、解題が述べていることを分けて読みます。
事件

王政復古の大号令|『憲法類編』の布告と『復古記』の日付を読む

1873年に明法寮が編んだ法令集『憲法類編』は、この文書を「第廿七」「御布告」とし、その日付を「丁卯十二月十四日」と記しています。一方、1931年に刊行された『復古記』は、同じ語句を含む布告を「慶應三年十二月九日」の項に収めています。二つの資料がそれぞれどう記しているのかを、分けて確認します。
人物

伊能忠敬|『大日本沿海実測録』の序と凡例は、どこまで測ったと記しているか

1870年に刊行された『大日本沿海実測録』の首巻には、伊能忠敬の名を署する序と、凡例が収められています。序は、測った地域を順に挙げたうえで「大凡六十八州の駅路沿海から四周の島嶼に至るまで遺漏あることなし」としています。同じ序は続けて、各国の郡邑・山川の細に至っては固より未だ及ぶに遑がない、とも記します。凡例は、蝦夷地方の測量は未だ完備しない、としています。一冊のなかに置かれたこれらの記述を、そのまま読みます。
城・寺社・史跡

慈照寺銀閣|『蔭凉軒日録』に見える「觀音殿」と「潮音閣」

『蔭凉軒日録』の長享二年の条には、「觀音殿」という語が繰り返し現れます。二月三日の条では額を内と外のどちらに掲げるかが問われ、「然者二重之內、一ニハ潮音閣ト可揭」とあります。九月の条には額の書立を持参したとあり、十月の条には「觀音殿二重之額、潮音閣可然被思食云々」「明年觀音殿可立」とあります。一方、『大日本史料』第8編之14が参考として掲げる『慈照寺諸記』には「二重銀閣號潮音閣」とあります。それぞれの記録が使っている語を、そのまま読みます。
政治・制度

墾田永年私財法とは何を認めた法なのか|天平15年の詔を読む

天平十五年の詔は、墾田を永年の私財とすることを認めています。同じ詔には、身分ごとの面積の限度と、限度を超えた分を公に還す規定も並んでいます。『続日本紀』のその箇所を開いて、何が認められ、何が制限されているのかを見ます。
暮らし

日本刀|太刀・打刀・脇指は同じものなのか

国指定文化財等データベースは太刀・小太刀・脇指・短刀・大薙刀を別々の名称で登録し、「日本刀」という名称では登録していません。『古事類苑』刀剣の部も項目を分けています。そして「打刀」の項に引かれた書物のあいだでは、今の刀と古の打刀が同じかどうかで説明が食い違っています。
政治・制度

参勤交代|法令が命じたことと、研究が説明していること

武家諸法度を開くと、慶長二十年の条は供の騎数の上限を定め、寛永十二年の条は交替と毎歳夏四月の参勤を定めたうえで、従者の員数を減らせと命じています。一方、児玉幸多の論考は制度を証人の文脈から説き起こし、費用と財政難を論じます。法令と研究を分けて読みます。