万葉集の撰者|本文に家持の名はどう現れ、1916年の解題は何と説明したか

文化・宗教

『万葉集』をまとめたのは誰なのか。

この疑問に対して、まず名前が挙がる人物の一人が大伴家持です。

実際、『万葉集』の本文を読んでいくと、家持の名前は何度も登場します。しかも最後の巻である巻第二十の末尾近くにも、家持が作ったと記された歌が置かれています。

それなら、

「やはり家持が『万葉集』を編集したのでは?」

と思いたくなります。

ところが、今回確認した本文の範囲には、「大伴家持が万葉集を編纂した」と直接書かれているわけではありません。

一方、1916年に刊行された『万葉集 : 縮刷』の巻頭には「萬葉集解題」があり、そこでは撰者について複数の説が紹介されています。

今回は、『万葉集』本文に家持の名がどのように現れるのかと、1916年の解題が撰者をどう説明しているのかを分けて読んでみます。

今回読んだのは1916年刊『万葉集 : 縮刷』

今回使用したのは、1916年刊行の『万葉集 : 縮刷』です。

国立国会図書館デジタルコレクションで公開されている刊本を確認しました。

この本には『万葉集』本文だけでなく、巻頭に**「萬葉集解題」**が収録されています。

つまり、一冊の中に、

『万葉集』そのものの本文

と、

1916年の編者側による『万葉集』についての説明

が一緒に入っています。

この二つは同じ本に印刷されていますが、当然ながら同じ時代に書かれた文章ではありません。

そこでこの記事では、本文に書かれていることと、1916年の解題が説明していることを分けて見ていきます。

巻第二十の最後には、家持の歌がある

まず『万葉集』巻第二十の末尾を見てみます。

題詞には「三年春正月一日」とあり、因幡国庁で国郡司らに饗を賜った宴で詠まれた歌であることが記されています。

その歌が、有名な一首です。

「新しき年の始の初春の今日降る雪の彌重け吉事」

新しい年の初め、その初春の日に降る雪のように、良いことがますます重なってほしい――という内容です。

そして歌の後には、

「右一首、守大伴宿禰家持作之」

という左注があります。

つまり、この一首を作った人物として大伴家持の名前が明記されています。

さらに、そのすぐ後には、

「萬葉集巻二十」

という巻末の表示があります。

現在伝わる『万葉集』二十巻のかなり最後に近い位置で、家持の名が現れているわけです。

『万葉集』と家持の関係を考えるとき、この配置が印象に残るのは当然でしょう。

家持の名前は本文の中に何度も登場する

家持の名前が現れるのは、この最後の一首だけではありません。

今回確認した巻第二十の箇所でも、

「右一首、右中辨大伴宿禰家持」

「右一首、大伴宿禰家持作之」

といった形で、題詞や左注に家持の名が繰り返し登場します。

つまり、『万葉集』本文を読むと、

大伴家持という人物が歌人としてかなりはっきり姿を見せる

ことは確認できます。

しかし、ここで一つ区別しておかなければなりません。

「家持の名前がたくさん出てくる」ことと、「家持が万葉集を編集した」ことは同じではありません。

歌の作者として名前が書かれていることは、その人物が歌集全体を編纂した証拠にはならないからです。

今回確認した巻第二十の範囲でも、家持の名前は何度も現れますが、

「家持がこの万葉集を編んだ」

という文章そのものは確認できませんでした。

なぜ家持が「撰者」として語られるのか

そこで興味深いのが、この1916年刊本の巻頭に置かれた「萬葉集解題」です。

本文から離れ、ここからは1916年当時の説明を読んでいきます。

この解題は、万葉集の撰者について、

古来さまざまな説がある

としています。

つまり、1916年の時点でも、

「万葉集を作ったのはこの人物だ」

と単純に一人へ決めて説明しているわけではありません。

いくつもの説がある問題として紹介しているのです。

1916年の解題が紹介している複数の説

解題には、撰者をめぐる複数の考え方が紹介されています。

たとえば、

橘諸兄が勅命を受けて撰び、それを大伴家持が後から続けて撰した

という考え方。

また、

大伴家持が見聞きした歌をその都度集めていった

と見る説も紹介されています。

さらに、現在の二十巻すべてを最初から一つの歌集として考えるのではなく、

一・二・十一・十二・十三・十四の六巻が本来の万葉集で、その他には各家に伝わった歌集などが加わった

とする考え方も挙げています。

現在から見ると、どれが支持されているのかが気になるところですが、今回の記事ではそこには踏み込みません。

重要なのは、1916年の解題そのものが、撰者問題に一つの答えしかなかったとは考えていないことです。

解題が「一番穏当」とした説明

複数の説を紹介したあと、1916年の解題は自らの見方も示しています。

それによれば、『万葉集』は勅命によって国家的に編纂された、いわゆる「勅撰」の歌集として考えるよりも、

橘諸兄が集めていたものに、大伴家持が自ら書き集めていたものが加わり、現在のような形になった

と考えるのが、

「一番穏当である」

としています。

ここはかなり興味深い部分です。

「家持が一人で万葉集を作った」と説明しているわけではありません。

諸兄による収集があり、そこに家持の収集したものが加わった結果、現在の形になった――という複数段階の成立をイメージしています。

少なくとも1916年のこの解題では、そう考えることが最も無理が少ないと判断されていたわけです。

もちろん、これは1916年に書かれた解題の判断です。

現在の研究でもそのまま支持されているという意味ではありません。

本文の最後に家持の歌があることは何を意味するのか

ここで、もう一度本文へ戻ってみます。

巻第二十の終わり近くに家持の歌があり、そのすぐ後に「萬葉集巻二十」とあります。

さらに巻第二十の中には、家持の名前が何度も登場します。

こうした事実を見ると、

「やはり家持が最後にまとめたのではないか」

と考えたくなるのは自然です。

しかし、本文そのものはそこまで説明してくれません。

確認できるのは、

家持の歌が収められていること。

その歌の作者として家持の名が記されていること。

そして、

巻第二十の末尾近くにもその名が現れること。

ここまでです。

誰がどの段階でどの歌を集め、どのように二十巻の形にしたのかという問題は、それとは別に検討する必要があります。

歴史資料を読むときには、この「書かれていること」と「そこから考えられること」を分けておくことが重要になります。

同じ一冊でも「本文」と「解説」はまったく違う資料

今回面白かったのは、一冊の本の中だけでも資料の性格が大きく違うことです。

巻第二十に印刷されている歌や題詞、左注は、『万葉集』として伝えられてきた本文です。

一方、巻頭の「萬葉集解題」は、1916年の刊行時に読者へ『万葉集』を説明するために置かれた文章です。

同じ本を開けば連続して読むことができますが、

「万葉集にこう書いてある」

のと、

「1916年の解題ではこう説明している」

のとでは意味がまったく違います。

古い刊本を読むときには、本文だけでなく、解題、頭注、校注などが一緒に印刷されていることがあります。

便利な反面、どこまでが原資料で、どこからが後世の編集者による説明なのかを意識しないと、知らないうちに混ぜて読んでしまいます。

今回の記事では、あえてそこを分けてみました。

では「万葉集の撰者は大伴家持」でいいのか

今回確認した資料だけから、

「万葉集の撰者は大伴家持である」

と断定することはできません。

本文で確認できるのは、大伴家持が歌人として繰り返し登場し、巻第二十の最後近くにも家持作とされた歌が置かれていることです。

それに対して1916年の解題では、撰者について古くから複数の説があったことが紹介されています。

そして解題自身は、

橘諸兄が集めていたものに家持が書き集めたものが加わって現在の形になったと見るのが「一番穏当」

と判断しています。

つまり、同じ一冊を読んだだけでも、

「本文に家持の名がある」

という事実と、

「家持が成立に深く関わったと考える」

という後世の解釈が別の段階にあることが分かります。

ここを区別すると、「万葉集の撰者」という問題が単純な人物当てではないことも見えてきます。

家持の名前から、万葉集成立の問題が見えてくる

大伴家持は『万葉集』を代表する歌人の一人です。

その名が最後の巻まで繰り返し現れ、巻第二十の末尾近くにも家持作の歌が置かれている。

これは本文を読めば確認できます。

しかし、

「だから家持が万葉集を編纂した」

と結論づけるためには、それとは別の根拠が必要です。

1916年の解題も、単独の編者として家持だけを挙げるのではなく、橘諸兄による収集と家持による収集が重なって現在の形になったという見方を示していました。

本文と解題を分けて読むことで、

大伴家持は『万葉集』に深く関わる人物として見えてくる一方、歌集の成立そのものはもっと複雑な問題である

ということが分かります。

「万葉集の撰者は誰か」という問いは、一人の名前を答えれば終わる問題ではないようです。

今回確認した資料について

この記事で直接確認したのは、1916年刊『万葉集 : 縮刷』です。

本文については巻第二十の一部、とくに家持の名が現れる箇所と巻末を確認しました。二十巻すべてを通読したわけではありません。

また、巻頭の「萬葉集解題」を読み、そこで撰者について紹介されている説と、解題自身の判断を確認しました。

ただし、解題が紹介しているそれぞれの説の原典や、その説を唱えた人物の著作までは今回確認していません。

1916年以降の研究についても、この記事では扱っていません。

そのため、ここで紹介した「一番穏当」という評価は、あくまで1916年の解題によるものです。

参考資料

  • 『万葉集 : 縮刷』1916年
    国立国会図書館デジタルコレクション pid 915772

  • 巻第二十の今回確認した箇所:コマ375付近

  • 巻第二十末尾・巻末表示:コマ378付近

  • 「萬葉集解題」:コマ5〜6

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