古事記と日本書紀は何が違う?|成立の記録と「最初の神」を原典で比べる

文化・宗教

古事記と日本書紀は何が違う?|成立の記録と「最初の神」を原典で比べる

『古事記』と『日本書紀』。

日本の神話や古代史を語るとき、二つまとめて「記紀」と呼ばれることがあります。

そのため、内容も似たようなものだと思っている人も多いかもしれません。

ところが実際に冒頭を読み比べてみると、かなり違います。

まず、成立の経緯をどこに記しているかが違う。

巻数も違う。

そして何より、天地が始まったとき最初に登場する神が違います。

『古事記』では天之御中主神。

『日本書紀』本文では国常立尊です。

ところが、さらに読み進めると『日本書紀』の「一書曰」と呼ばれる異伝の中に、『古事記』とよく似た神々の並びまで出てきます。

今回は「古事記と日本書紀は何が違うのか」という大きな問いを全部説明するのではなく、

成立について何と記録されているか。

どこまでを収録しているか。

冒頭で最初に現れる神は誰か。

そして、

『日本書紀』の「一書曰」には何が書かれているか。

この四点に絞って原典を比べてみます。

『古事記』は、自分の序で成立の経緯を語る

まず『古事記』です。

今回確認したのは、『国史大系』第7巻に収録された本文です。

最初に、

「古事記上巻并序」

とあり、本文の前に序が置かれています。

この序が、『古事記』が作られるまでの経緯をかなり詳しく説明しています。

序によれば、諸家が伝えていた帝紀や本辞には、すでに「正実」と異なるものや虚偽が多く含まれていた。

そこで、それらを整理する必要があるとされました。

そして登場するのが、

稗田阿礼

です。

序では、姓を稗田、名を阿礼とする人物に、

帝皇日継と先代旧辞を誦習させた

と記されています。

しかも年齢まで書かれており、二十八歳だったとしています。

その後、和銅四年九月十八日の詔を受け、

太安万侶が阿礼の誦む旧辞を撰録した

という流れで説明されています。

最後には、

「和銅五年正月二十八日 正五位上勲五等太朝臣安万侶謹上」

とあります。

日付と名前まで入っています。

『古事記』についてよく知られている「稗田阿礼が誦み、太安万侶が記した」という話は、まずこの序に書かれているわけです。

ただし、一つ区別しておきます。

今回確認できるのは、『古事記』の序が成立をこのように説明しているということです。

序に書かれている内容を、この記事だけで一つずつ史実として検証したわけではありません。

『日本書紀』には同じような序が見当たらない

次に『日本書紀』です。

こちらは『国史大系』第1巻を確認しました。

『古事記』のように、冒頭の序が、

「誰に命じて、誰がまとめ、何年何月に完成した」

という経緯を説明する形にはなっていません。

今回確認した目次・凡例・巻第三十の末尾では、『日本書紀』自身が成立年や撰者を説明する文章を確認できませんでした。

もちろん、三十巻すべてをこの目的で通読したわけではありません。

今回読んだ範囲では見つけられなかった、という意味です。

では、『日本書紀』の成立についての記録はどこにあるのでしょうか。

そこで別の史料、『続日本紀』を見ます。

『続日本紀』には「日本紀三十巻」の奏上が記されている

『続日本紀』の養老四年五月癸酉条には、『日本紀』についての記事があります。

そこでは、

一品舎人親王が先に日本紀を修め、ここに至って功成り奏上した

という趣旨が記されています。

そして、

紀三十巻・系図一巻

とあります。

つまり今回確認した資料では、

『古事記』は自分の序が成立の経緯を説明する。

一方、『日本書紀』については、別の史書である『続日本紀』に完成・奏上の記事がある。

という違いが見えてきます。

同じ古代の歴史書でも、成立についての情報が置かれている場所が違うわけです。

後世の跋文では、さらに別の名前も出てくる

もう一つ興味深い点があります。

今回使った『国史大系』第1巻には、『日本書紀』本文だけでなく、慶長十五年の跋文も収録されています。

この跋文では、『日本書紀』について、

元正天皇の養老年間に、

一品舎人親王と太朝臣安麻呂

が勅を受けて撰したものだと記しています。

先ほど見た『続日本紀』の記事で名前が出ていたのは舎人親王でした。

ところが、慶長十五年の跋文には太朝臣安麻呂の名も加わっています。

これを見て、

「どちらが正しいのか」

とすぐ決めるのではなく、まず資料の年代を分けて考えたほうがよさそうです。

『続日本紀』の記事と、ずっと後世の慶長十五年の跋文は、同じ時代の記録ではありません。

今回確認できたのは、それぞれの資料が異なる形で撰者を記しているというところまでです。

『古事記』は三巻、『日本書紀』は三十巻

次に、本の形そのものを比べてみます。

『古事記』の序では、

上巻。

中巻。

下巻。

の三巻を録したと記しています。

上巻は天地の始まりから神武天皇以前。

中巻はその後から品陀の御世以前。

下巻は大雀以下から小治田大宮以前まで。

という形です。

一方、『日本書紀』は三十巻あります。

『国史大系』の目次を見ると、

巻第一が神代上。

巻第二が神代下。

巻第三が神武天皇。

そこから歴代天皇の記事が続き、

巻第三十で終わります。

巻第二十二が推古天皇。

巻第二十八・二十九が天武天皇。

巻第三十が持統天皇です。

つまり、単純に巻数だけ比べても、

三巻と三十巻。

かなり違います。

『古事記』が終わる推古の時代から、『日本書紀』はさらに続く

収録されている時代の下限も違います。

『古事記』の序では、下巻の最後を小治田大宮の時代までとしています。

小治田大宮は推古天皇に関係する表現です。

一方、『日本書紀』では推古天皇は巻第二十二です。

そこからさらに、

舒明。

皇極。

孝徳。

斉明。

天智。

弘文。

天武。

持統。

と続き、巻第三十まであります。

つまり、『古事記』が扱う時代よりも、『日本書紀』のほうが後の時代まで続いています。

ここも、「日本書紀のほうが詳しい」と単純に評価するのではなく、

収録する時代の範囲が違う

と見るのがまずは安全です。

そして、最初に登場する神が違う

ここから、実際に本文の冒頭を比べてみます。

まず『古事記』上巻。

天地が初めて起こったとき、高天原に成った神として最初に挙げられるのが、

天之御中主神

です。

続いて、

高御産巣日神

神産巣日神

が現れます。

この三柱について、『古事記』は独神であり、身を隠したと記しています。

つまり『古事記』の冒頭では、

天之御中主神
→ 高御産巣日神
→ 神産巣日神

という順です。

では、『日本書紀』はどうでしょうか。

『日本書紀』本文の最初は国常立尊

『日本書紀』巻第一「神代上」は、天地がまだ分かれていない状態から始まります。

天地がいまだ剖れず、陰陽も分かれていない。

渾沌とした状態を、鶏子のようだと表現しています。

その後、清く明るいものが天となり、重く濁ったものが地となり、神聖がその中に生まれた。

そして最初に挙げられるのが、

国常立尊

です。

次に、

国狭槌尊

豊斟渟尊

と続きます。

つまり冒頭の本文だけを比べると、

『古事記』は天之御中主神。

『日本書紀』は国常立尊。

最初の神からすでに違っています。

「記紀神話」とひとまとめにしていると、ここは意外に感じるところです。

ところが『日本書紀』には「一書曰」がある

しかし、『日本書紀』は本文を一つ書いて終わりではありません。

そのすぐ近くに、

「一書曰」

という形で別の伝えをいくつも並べています。

今回確認した範囲だけでも、同じ一丁の中に七か所ありました。

つまり『日本書紀』は、

「本文ではこうだ」

と一つの神話を書きながら、

「別の書ではこう伝えている」

という異伝も残しているのです。

これが、『古事記』との比較でかなり面白いところです。

『日本書紀』の異伝に「天御中主尊」が出てくる

「一書曰」の一つを見ると、

高天原に生まれた神として、

天御中主尊

が挙げられています。

続いて、

高皇産霊尊

神皇産霊尊

です。

どこかで見た並びです。

『古事記』冒頭の、

天之御中主神
高御産巣日神
神産巣日神

とよく重なります。

表記は完全に同じではありませんが、神名の並びには明らかな共通点があります。

つまり、

『日本書紀』の本文だけを読むと、最初の神は国常立尊。

ところが、

『日本書紀』自身が載せている異伝の一つでは、天御中主尊が最初に現れる。

ということです。

これはかなり重要です。

「古事記と日本書紀は神話が違う」で終わらない

ここまで読むと、

「古事記と日本書紀では最初の神が違う」

と言えます。

しかし、それだけでは少し単純すぎます。

確かに本文同士を比べれば、

『古事記』=天之御中主神。

『日本書紀』=国常立尊。

です。

しかし『日本書紀』は一つの伝承だけを載せていません。

異伝として、『古事記』と重なる神々の並びも残しています。

つまり、『日本書紀』は、

複数の神話伝承を並べて残している

ように見える構成になっています。

ただし、ここから、

「古事記と日本書紀が同じ資料を使った」

「どちらかがどちらかを書き写した」

「どちらの伝承のほうが古い」

といったところまでは、今回確認した資料だけでは言えません。

まず分かるのは、同じような神名の並びが両方に現れるというところまでです。

『古事記』には「一書曰」がないのか

ここでも注意が必要です。

今回読んだ『古事記』の序と上巻冒頭では、『日本書紀』のように「一書曰」として複数の異伝を次々に並べる形は確認できませんでした。

しかし、『古事記』三巻すべてを今回この観点から調べたわけではありません。

そのため、

「古事記には異伝がない」

「複数の伝承を残しているのは日本書紀だけ」

とまでは言えません。

今回確認できたのは、あくまで冒頭部分の書き方が違うということです。

二冊は「同じ神話を書いた本」ではなかった

今回、実際に二冊の冒頭を並べてみると、「記紀」という一つの言葉でまとめるだけでは見えない違いがかなりあります。

成立については、

『古事記』は序が自ら経緯を説明する。

『日本書紀』については、『続日本紀』に完成・奏上の記事がある。

巻数は、

三巻と三十巻。

扱う時代の下限も、

推古と持統。

そして神話の冒頭も、

天之御中主神と国常立尊。

同じではありません。

一方で、『日本書紀』の異伝を見ると、『古事記』とよく似た神々の並びも出てきます。

つまり二冊は、

まったく別々の神話を伝える本でもなければ、まったく同じ内容の本でもない。

少なくとも今回読んだ範囲では、そんな姿が見えてきます。

「記紀」とまとめる前に、一度別々に読んでみる

『古事記』と『日本書紀』は、現在では「記紀神話」「記紀」とセットで扱われることが多い二冊です。

それは便利な呼び方です。

しかし実際に本文を開くと、最初の数ページだけでも違いがあります。

誰がどのようにまとめたと記されているのか。

何巻あるのか。

どの時代まで書かれているのか。

天地の初めにどの神が現れるのか。

異なる伝承をどのように扱っているのか。

一度「記紀」というセットを外して、それぞれ別の本として読んでみる。

そうすると、古代の神話や歴史が一つの決まった物語として残されたわけではないことが、少し見えやすくなります。

今回の記事では、その入口として、

成立の記録と、冒頭に現れる神

を比べてみました。

今回確認できたこと

今回読んだ範囲をまとめます。

『古事記』には序があり、稗田阿礼に帝皇日継と先代旧辞を誦習させ、太安万侶がそれを撰録したという成立経緯が記されています。

序の末尾には、

和銅五年正月二十八日

と太安万侶の名があります。

『日本書紀』については、今回確認した本文周辺に同様の成立説明は見つけられませんでしたが、『続日本紀』養老四年五月癸酉条には、舎人親王が日本紀を修め、

紀三十巻・系図一巻

を奏上したことが記されています。

形の上では、

古事記三巻、日本書紀三十巻。

収録する時代も、『古事記』が推古までなのに対し、『日本書紀』は持統まで続きます。

そして神話の冒頭では、

『古事記』=天之御中主神

『日本書紀』本文=国常立尊

と、最初に現れる神が違います。

ただし『日本書紀』の「一書曰」の一つには、

天御中主尊・高皇産霊尊・神皇産霊尊

という、『古事記』冒頭と重なる並びも確認できました。

「古事記と日本書紀は何が違うのか」。

今回の資料から見えたのは、単なる内容量の違いではなく、成立の伝え方、歴史を収める範囲、神話を記す方法そのものが違うということでした。

今回確認した資料について

この記事では、『国史大系』第7巻所収の『古事記』から序と上巻冒頭を確認しました。

『日本書紀』については、『国史大系』第1巻の目次・凡例・神代上の冒頭・巻第三十末尾・慶長十五年の跋文などを確認しています。

成立記事については、『続日本紀』養老四年五月癸酉条も確認しました。

『古事記』『日本書紀』ともに全巻を通読して比較したわけではありません。

したがって、今回の結論はこの記事で実際に確認した範囲に限ります。

参考資料

  • 『国史大系 第7巻 古事記』経済雑誌社、1901年

  • 『国史大系 第1巻 日本書紀』経済雑誌社、1901年

  • 『続日本紀』巻第1-9 菅野真道ほか著・伴信友校、1883年

 

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