江戸時代の身分制度|「士農工商」という言葉と実際の社会

政治・制度

江戸時代の身分制度と聞くと、

武士
農民
職人
商人

という順番を思い浮かべる人は多いと思います。

いわゆる「士農工商」です。

学校で「武士が一番上、その下に農民、職人、商人が並ぶ四段階の身分制度」と覚えた記憶がある人もいるでしょう。

ところが、実際に江戸時代の書物や研究を追ってみると、話はそれほど単純ではありませんでした。

まず意外なのは、

「士農工商」という言葉そのものは、江戸時代に実際に使われています。

では、昔教わった説明はそのまま正しいのか。

ここでもう一つ分ける必要があります。

言葉が存在したことと、幕府が「武士→農民→職人→商人」という四段階の身分序列を制度として作っていたことは、同じではありません。

今回は、

江戸時代に「士農工商」という言葉はあったのか。

実際の社会では、人々はどのような身分で捉えられていたのか。

そして後世の教育では、なぜ「士農工商」が身分制度として説明されたのか。

この三つを分けて見ていきます。

  1. 「士農工商」という言葉は、本当に江戸時代にあった
  2. 安永3年の本には「士農工商の四民」
  3. 「士農工商とも」と、全員をまとめて呼ぶ使い方もある
  4. 書名そのものが『士農工商心得草』
  5. もっと早い時期にも「士農工商」が出てくるという研究
  6. では「士農工商」は四段階の上下関係だったのか
  7. 四民は、それぞれ社会に必要だから価値がある
  8. 江戸時代の著者自身が「百姓と町人の上下が変わった」と書いている
  9. 幕府の法令には「士農工商」と書いてあるのか
  10. ただし「出てこない=制度が無かった」ではない
  11. 実際の江戸社会は「武士・百姓・町人」で見るべきだという研究
  12. 「百姓=農民」と訳してよいのか
  13. 同じ農業従事者でも「農人」と書けば話が変わる
  14. 百姓の中には商人や廻船業者もいた
  15. 村に住んでいても農業をやめ、商人や職人になる百姓がいた
  16. だからといって「百姓は農民ではなかった」わけではない
  17. では、なぜ「士農工商=身分制度」と覚えたのか
  18. その後の学習指導要領から「士農工商」が消える
  19. 現在の学習指導要領では「身分制」と書かれている
  20. ただし「現在の教科書から士農工商が消えた」とまでは言えない
  21. 「士農工商は間違いだった」と一言で終わらせてよいのか
  22. 「士農工商はあったのか、なかったのか」では答えられない
  23. 昔習った「士農工商」と、江戸社会そのものは分けて考える
  24. 今回確認できたこと
  25. 今回確認していないこと
  26. 参考資料

「士農工商」という言葉は、本当に江戸時代にあった

まず最初の問いです。

「士農工商」という言葉そのものが、明治以降に作られたものなのでしょうか。

今回確認した資料を見る限り、そうではありません。

1917年刊『通俗経済文庫』巻6には、江戸時代の教訓書が複数収録されています。

その中に、実際に「士農工商」という言葉が出てきます。

安永3年の本には「士農工商の四民」

一つ目は、

『身上組建 富貴の地基』

です。

同書の解題によれば、安永3年、1774年正月に大坂で刊行されたものです。

本文には、

天下の人を士農工商の四民に分ける

という趣旨の文章があります。

そして、その四民以外で生計を立てる者を「遊民」として扱う説明が続きます。

ここで大事なのは、

これは幕府の法令ではない

ということです。

商人や職人に向けて生き方や商売について説く、処世・教訓の書です。

つまり、

「幕府が正式に四身分を定めた証拠」

ではありません。

ただし、

江戸時代の人が実際に「士農工商」という四字を使っていた証拠

にはなります。

「士農工商とも」と、全員をまとめて呼ぶ使い方もある

二つ目は、

『開運出世伝受』

です。

ここでは、

開運を願う者は士農工商とも、倹約・忍耐・根気を守るべきだ、

という趣旨の文章があります。

この使い方は興味深いところです。

「武士が一番上で、商人が一番下」

という順序を説明しているわけではありません。

むしろ、

「どの立場の人であっても」

という意味で四つをまとめて使っています。

「士農工商」という四字が出てきても、そのたびに身分の上下を表しているとは限らないわけです。

書名そのものが『士農工商心得草』

さらに、

『士農工商心得草』

という本まであります。

為永春水の著作です。

『通俗経済文庫』の解題では、商業道徳の立場から書かれた教訓書とされています。

刊行年代については詳しく分からないとされていますが、書名そのものに「士農工商」の四字が入っています。

ここまでを見ると、

「士農工商という言葉は江戸時代には存在しなかった」

とは言えません。

言葉は確かに使われていました。

もっと早い時期にも「士農工商」が出てくるという研究

もう少し時代をさかのぼる話もあります。

ここからは、江戸時代の本を直接読んだのではなく、大島真理夫「『士農工商』論ノート」を通して知った内容です。

大島は、近世の著作で明確に「士農工商」論を展開した早い例として、

西川如見『町人嚢』

『百姓嚢』

を挙げています。

ただし、大島自身も、

「全くの管見ではあるが」

と断っています。

つまり「これが最古」と確定しているわけではありません。

大島が引用する『町人嚢』では、

士農工商の四民は、社会に必要な人々である

という趣旨が述べられています。

そして、その外側にいる人々を「遊民」と呼び、国の役に立たない存在として説明しています。

ここでも、

四民+遊民

という構図になっています。

先ほどの『身上組建 富貴の地基』と、よく似ています。

では「士農工商」は四段階の上下関係だったのか

ここからが一番重要です。

江戸時代に「士農工商」という言葉が存在した。

それなら、

武士が上、農民がその下、職人、商人の順で固定された身分制度だった

と考えてよいのでしょうか。

今回読んだ研究では、そう単純には捉えていません。

大島真理夫は、西川如見の「士農工商」について、

身分の区別ではなく、職業の区別として述べている

と見ています。

つまり、

武士という仕事。

農業をする人。

職人。

商人。

社会を成り立たせる四つの役割を並べている、という理解です。

四民は、それぞれ社会に必要だから価値がある

大島はさらに、「士農工商」論の原理について、

四つの職業は仕事の内容こそ違うものの、

それぞれのやり方で社会に貢献している

ため、その意味では対等な価値を持つと説明しています。

もちろん、

「江戸時代の人々はみんな平等だと思っていた」

という意味ではありません。

これはあくまで、

「士農工商」という思想をどう読むかについての大島の分析

です。

しかし少なくとも、

「四字が並んでいる=上から下への序列」

と自動的に読む必要はないことが分かります。

江戸時代の著者自身が「百姓と町人の上下が変わった」と書いている

さらに面白いのが、西川如見『町人嚢』について大島が紹介している一節です。

そこでは、

昔は百姓より町人のほうが下だと言われていた。

ところが、世の中が金銀を使う社会になり、財産が町人のところへ集まるようになった。

その結果、

いつの間にか町人の品が百姓より上になった

という趣旨が述べられています。

もし、

農民>職人>商人

という序列が制度として絶対に固定されていたのであれば、少し奇妙な文章です。

少なくとも西川如見は、百姓と町人の社会的な位置関係を、時代によって変化しうるものとして書いています。

ただし、これも制度そのものを証明する資料ではありません。

一人の江戸時代の著者がそのように認識していた

というところまでです。

幕府の法令には「士農工商」と書いてあるのか

では、幕府側の資料はどうでしょうか。

今回、『徳川禁令考』1890年刊の14冊、約52万字について、「士農工商」という文字列を機械的に検索しました。

結果は、

0件。

今回調べた範囲では、一度も見つかりませんでした。

一方、

「百姓」

「町人」

「身分」

といった言葉は、繰り返し出てきます。

これはかなり興味深い結果です。

江戸時代の教訓書には「士農工商」が出てくる。

しかし、今回調べた幕府法令集の範囲では、その四字は見つからなかった。

ただし「出てこない=制度が無かった」ではない

ここは注意が必要です。

今回検索した『徳川禁令考』は全冊ではありません。

OCRにも誤読があります。

そして、そもそも「士農工商」という四字が法令に出なくても、別の形で身分制度が存在することはあり得ます。

したがって、

「法令に士農工商と書いていない。だから身分制度は存在しなかった」

とは言えません。

確認できるのは、

今回検索した14冊では「士農工商」という四字は見つからず、「百姓」「町人」などの言葉は繰り返し使われていた

というところまでです。

実際の江戸社会は「武士・百姓・町人」で見るべきだという研究

では、江戸時代の身分をどう捉えればよいのでしょうか。

大島真理夫は、

江戸時代の基本的身分を「武士・百姓・町人」の三身分として捉えるべきだ

と述べています。

ここで「農民」「職人」「商人」ではなく、

百姓

町人

という言葉になっていることが重要です。

大島によれば、近世の地方文書や幕府・藩の法令では、

「農」「農民」「農人」よりも、

「百姓」

という語が一般的に使われます。

また商人や職人については、

「諸商人」

「諸職人」

と職業を示す言い方はあっても、身分を示す呼称としては、

「町人」

が使われるといいます。

つまり、

身分と職業をそのまま一対一で対応させると、江戸社会が見えにくくなる

ということです。

「百姓=農民」と訳してよいのか

ここで、さらに一つ問題が出てきます。

「百姓」と聞けば、現在ではほぼ「農民」と同じ意味に感じます。

しかし、研究ではこの二つを完全に同じものとして扱うことに注意を促しています。

大島は、

近世の「百姓」は、

年貢を上納する被治者・被支配身分

として位置づけられる言葉だと説明しています。

つまり、

「何の仕事をしているか」

という職業名というより、

支配する側から見た身分上の呼び名

という面が強いということです。

同じ農業従事者でも「農人」と書けば話が変わる

大島は『農業全書』についても触れています。

そこでは農業に従事する人について、

「百姓」ではなく、

「農人」

「農業をつとむる人」

という言葉が使われ、

農業の社会的な意義が高く評価されています。

つまり、

同じような人々を指していても、

「百姓」と呼ぶのか、「農人」と呼ぶのかで、文章の文脈が変わる

わけです。

「百姓」は支配関係の中の呼び方。

「農人」は仕事に注目した呼び方。

そうした違いがあるということです。

百姓の中には商人や廻船業者もいた

さらに、「百姓=農業だけ」という理解も研究では見直されています。

大島は網野善彦の議論について、

百姓には農民だけでなく、多様な職業の人々が含まれていた

と紹介しています。

安室知も同じ方向の研究史を整理しています。

安室によれば、

「百姓」は職業の種類を示すものではなく社会的な身分であり、

その中には、

廻船業者

商工業者

なども存在していたことが明らかにされてきました。

つまり、

百姓身分でありながら、農業以外で生計を立てる人もいた

ということです。

村に住んでいても農業をやめ、商人や職人になる百姓がいた

安室は、深谷克己の研究などを紹介しながら、

江戸時代の農村でも、

農業だけではなくさまざまな「諸稼ぎ」に依存する人々がいたと説明しています。

さらに、

村に住みながら農業をやめ、小商人や職人になっていく百姓

の存在も研究されてきたとしています。

こうなると、

百姓=農民

町人=商人・職人

という単純な対応では説明できません。

身分と仕事が、必ずしも一致していないからです。

だからといって「百姓は農民ではなかった」わけではない

ここは逆にしないようにします。

研究が言っているのは、

百姓には農民以外もいた

ということです。

百姓は農民ではなかった

という意味ではありません。

実際、どれくらいの百姓が農業を中心に生活していたのか。

農業以外を主業とした人が何割いたのか。

今回の記事では、そうした数字までは確認できていません。

したがって、

「江戸時代の百姓はほとんど農業をしていなかった」

というような話にも進みません。

では、なぜ「士農工商=身分制度」と覚えたのか

ここから時代を進めます。

今度は江戸時代そのものではなく、

後世が江戸時代をどう教えたか

という話です。

公的な教育文書を調べると、

「士農工商」が実際に登場します。

昭和26年、1951年の

『中学校・高等学校学習指導要領 社会科編II』

です。

その中には、「職人」「町人」などと並び、

「士農工商」

が用語の例として載っています。

さらに評価問題の例では、

「士農工商の身分に厳重にしばられていた」

という表現まで出てきます。

つまり、

戦後の公的な教育文書で、「士農工商」が身分制度として説明されていた

ことは確認できます。

その後の学習指導要領から「士農工商」が消える

では、その後はどうなったのでしょうか。

国立教育政策研究所の学習指導要領データベースで、小学校・中学校社会科関係の18版を検索したところ、

「士農工商」という語が見つかったのは、

昭和26年版のみ

でした。

昭和30年版以降、今回検索した平成29年版までの各文書では確認できませんでした。

ただし、

「昭和30年に士農工商説が否定された」

という意味ではありません。

今回確認できたのは、

公的な教育文書から、その四字が見つからなくなる

という事実までです。

現在の学習指導要領では「身分制」と書かれている

平成20年の中学校学習指導要領解説では、

「身分制度の確立及び農村の様子」

という表現があります。

平成29年版になると、

「身分制と農村の様子」

という書き方になります。

その説明では、

それぞれの身分の人々がそれぞれの職分を果たしていたこと。

人口の多数を占める農民が村を生活の基盤としていたこと。

農村が幕府や藩の経済を支えていたこと。

などが書かれています。

ここに、

武士>農民>職人>商人

という四段階の順位は出てきません。

小学校の解説でも、

「武士を中心とする身分制」

という表現になっています。

少なくとも、現在の公的な説明は「士農工商」という四字を前面には出していません。

ただし「現在の教科書から士農工商が消えた」とまでは言えない

ここも線を引きます。

今回確認したのは、

学習指導要領と文部科学省の解説

です。

教科書そのものは一冊も読んでいません。

したがって、

「昔の教科書には必ず士農工商と書いてあった」

「今の教科書から完全に消えた」

「現在の子どもは士農工商を習わない」

というところまでは言えません。

公的な教育方針の文書で用語が変化している。

今回確認できたのはそこまでです。

「士農工商は間違いだった」と一言で終わらせてよいのか

最近は、

「士農工商は昔の誤った歴史観で、今では完全に否定されている」

という説明も見かけます。

しかし、今回読んだ研究を見ると、こちらも少し単純化しすぎています。

大島真理夫は1998年の論文で、

江戸時代の身分制を「士農工商」という四身分として理解する考え方が、なお少なくないと述べています。

さらに現代の研究でも、

「士農工商」という言葉そのもの

は使われています。

ただし、その意味が違います。

四つの職業を指す場合。

身分制度について論じる場合。

「士農工商」の外側に位置づけられた人々を考える場合。

同じ四字でも、研究者が何を指しているのかを見なければなりません。

つまり、

言葉そのものが学問から消えたわけではない。

問題なのは、

「士農工商=武士から商人まで順番に並んだ固定的な四段階身分制度」

と無条件に理解することです。

「士農工商はあったのか、なかったのか」では答えられない

ここまで読んだものを整理してみます。

まず、

「士農工商」という言葉は江戸時代にありました。

教訓書に用例があり、書名にも使われています。

したがって、

「士農工商という言葉は明治以降に作られた」

とは言えません。

一方、

その四字が、幕府の制度として武士→農民→職人→商人という固定した上下関係をそのまま表していた

とも、今回確認した資料からは言えません。

研究では、

「士農工商」を社会に必要な四職業として読む議論があります。

また、実際の法令・地方文書では、

武士・百姓・町人

という身分呼称が重要だったと説明されています。

そして、

百姓=農民

町人=商人・職人

と完全に一対一対応するわけでもありません。

身分と生業は、もっと複雑に重なっていました。

昔習った「士農工商」と、江戸社会そのものは分けて考える

今回調べていて、一番大事だと感じたのはここです。

「士農工商」という言葉。

江戸時代の実際の社会。

そして後世の歴史教育。

この三つは同じものではありません。

江戸時代に「士農工商」という言葉は存在した。

しかし、それを四段階の固定的な身分制度として理解する説明は、後世の教育の中でも使われてきた。

一方、現在の研究では、

身分と職業を分けて見ること

「百姓」「町人」という当時の呼称を重視すること

百姓の中にも多様な生業があったこと

などが論じられています。

「昔はこう教えた。今は全部間違い」。

そこまで単純な話でもありません。

むしろ、

同じ「士農工商」という四字が、時代によって違う意味で使われてきた

と見るほうが実態に近そうです。

今回確認できたこと

今回の記事で確認できたことをまとめます。

一つ。

「士農工商」という語は江戸時代の書物に実際に現れます。

二つ。

その用例は、必ずしも武士から商人までの上下関係を説明するものではありません。

「士農工商とも」という形で社会全体をまとめて呼ぶ用例もあります。

三つ。

今回検索した『徳川禁令考』14冊では、「士農工商」という四字は確認できませんでしたが、「百姓」「町人」「身分」は繰り返し現れました。

四つ。

大島真理夫は江戸時代の基本身分を「武士・百姓・町人」と捉え、士農工商をそのまま四身分と見る理解に疑問を示しています。

五つ。

研究では、「百姓」は必ずしも農業従事者だけを意味せず、商工業や廻船など多様な生業を持つ人々を含んだことが指摘されています。

六つ。

1951年の学習指導要領には「士農工商の身分」という表現が確認できますが、今回調べた昭和30年以降の公的教育文書では「士農工商」の語を確認できませんでした。

つまり、

「士農工商という言葉は江戸時代には存在したのか」

という問いには、

存在した

と答えられます。

しかし、

「江戸時代には武士→農民→職人→商人という四段階の身分制度があったのか」

という問いは別です。

今回確認した資料と研究からは、そのように単純化して答えることはできませんでした。

今回確認していないこと

この記事では、江戸時代の百姓のうち何割が農業を営んでいたのかは調べていません。

職人と商人の間に、制度上どのような上下関係があったのかについても確認できていません。

江戸時代の教科書・往来物全体で「士農工商」がどの程度使われていたのかも調べていません。

また、戦後の実際の学校教科書本文についても今回は確認していません。

小林茂「『士農工商』の源流」という、この問題を直接扱う論文の存在も確認しましたが、本文には到達できませんでした。

したがって、その内容を推測で補うことはしていません。

今回の記事で分かったのは、

「言葉があったこと」と「制度がその四字どおりだったこと」は分けて考える必要がある

というところまでです。

参考資料

  • 『通俗経済文庫』巻6 日本経済叢書刊行会、1917年

    • 『身上組建 富貴の地基』

    • 『開運出世伝受』

    • 『士農工商心得草』

  • 『徳川禁令考』司法省、1890年刊

  • 大島真理夫「『士農工商』論ノート」『経済史研究』第2号、1998年

  • 安室知「『百姓漁師』と『漁師百姓』-海付きの村の生業複合と水田稲作-」『国立歴史民俗博物館研究報告』第162集、2011年

  • 『中学校・高等学校学習指導要領 社会科編II』文部省、昭和26年

  • 『中学校学習指導要領 社会科編 改訂版』文部省、昭和30年

  • 『中学校学習指導要領解説 社会編』文部科学省、平成20年

  • 『中学校学習指導要領(平成29年告示)解説 社会編』文部科学省

  • 『小学校学習指導要領(平成29年告示)解説 社会編』文部科学省

タイトルとURLをコピーしました