金閣は昔も国宝ではなかったのか|銀閣と1939年の国宝建造物目録を比べる

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京都を代表する二つの楼閣、金閣と銀閣。

現在、文化庁の国指定文化財等データベースを見ると、慈照寺銀閣は国宝として登録されています。

ところが、鹿苑寺の金閣を同じように探しても、国宝・重要文化財の「建造物」としては出てきません。

「銀閣は国宝なのに、金閣は国宝ではない」

現在だけを見れば、そのように見えます。

では、昔からそうだったのでしょうか。

古い国宝建造物の目録を調べてみると、答えは違いました。

1939年の『国宝建造物略説目録』には、金閣も銀閣も、どちらも国宝建造物として掲載されています。

しかも、現在金閣が建造物の国宝一覧にない理由についても、文化庁の資料から確認することができました。

金閣は1950年に火災で焼失し、当時の国宝指定が解除されています。現在見る金閣は、その後1955年に再建された建物です。

今回は、現在の銀閣から1939年の国宝目録、さらに1917年の目録まで遡りながら、金閣と銀閣の文化財としての歩みを比べてみます。

現在、銀閣は国宝として登録されている

まず現在の銀閣から見てみます。

文化庁の国指定文化財等データベースには、

慈照寺銀閣

が国宝・重要文化財(建造物)として登録されています。

時代は室町後期。

年代は長享3年(1489年)。

重要文化財としての指定年月日は1900年4月7日。

現在の文化財保護法における国宝指定年月日は1951年6月9日です。

文化庁の解説では、銀閣を金閣と並ぶ代表的な楼閣建築として説明しています。

つまり現在でも、室町時代に建てられた銀閣そのものが文化財建造物として残り、国宝になっています。

では、現在の金閣は?

同じように鹿苑寺を調べると、現在国が指定しているものとして確認できるのは鹿苑寺庭園などです。

一方、現在の金閣そのものは国宝・重要文化財の建造物として登録されていません。

ここだけを見ると、

「金閣は歴史的には有名だけれど、もともと国宝建造物ではなかったのではないか」

と思うかもしれません。

しかし、古い資料を見るとそうではありません。

1939年の国宝建造物目録には「金閣」が載っている

今回確認したのが、1939年に古建築及庭園研究会が編んだ、

『国宝建造物略説目録』

です。

京都府の項を見ると、そこにははっきり、

金閣

が載っています。

形式についても、

「三層閣、上層屋根宝形、檜皮葺」

と記されています。

そして同じ目録には、

慈照寺銀閣

も載っています。

つまり1939年の目録では、

金閣と銀閣の両方が国宝建造物として並んでいた

のです。

現在の指定だけを見ていると、ここはかなり意外です。

ただし、1939年の「国宝」は現在の国宝と同じ制度ではない

ここは重要です。

1939年当時の「国宝」と、現在の文化財保護法における「国宝」は、そのまま同じ制度ではありません。

1939年は国宝保存法の時代です。

文化庁も、国宝保存法の下で「国宝」とされていたものは、現在の文化財保護法では原則として重要文化財に相当する扱いになったと説明しています。

そのため、

「金閣は昔、現在とまったく同じ意味で国宝だった」

と書くと少し乱暴です。

正確には、

1939年の国宝保存法下の国宝建造物目録に、金閣が掲載されている

ということになります。

それでも、「昔から金閣だけ国宝ではなかった」という理解が違うことは分かります。

金閣は明治30年、銀閣は明治33年

1939年の目録には、建物とともに日付も記されています。

金閣は、

明治30年12月28日。

銀閣は、

明治33年4月7日。

銀閣の明治33年4月7日は、現在の文化庁データベースに残る重要文化財指定年月日、1900年4月7日と一致しています。

一方、金閣の明治30年12月28日については、1928年に鹿苑寺が編んだ『金閣小史』にも記述があります。

同書は、金閣が明治30年12月28日に内務省によって特別保護建造物に指定されたとしています。

つまり金閣も銀閣も、明治時代から国による文化財保護の対象になっていました。

1917年の目録にも金閣がある

さらに遡ります。

1917年に黒板勝美が編んだ『特別保護建造物并国宝目録』にも、京都府の鹿苑寺の建物として金閣が掲載されています。

今回確認した版では、表のOCRが崩れており、金閣に対応する指定年月日までは安全に読み取れませんでした。

しかし、

1917年の目録にも金閣そのものが掲載されている

ところまでは確認できます。

1939年だけ突然「国宝」とされたわけではなく、近代の文化財保護制度の中で、金閣が保護対象の建造物として扱われていたことが分かります。

1928年の『金閣小史』は「創建のまま」と説明していた

では、焼失する前の金閣はどのような建物として見られていたのでしょうか。

1928年に鹿苑寺が編んだ『金閣小史』を読むと、現在とはかなり違った重みを持つ建物だったことが伝わってきます。

同書は、足利義満が北山に営んだ殿舎について、

仏殿、泉殿、護摩堂、懺法堂、舎利殿、天鏡閣、小御堂、地蔵堂など、多くの建物名を挙げています。

その中で後世まで残ったのが金閣です。

『金閣小史』に収められた京都府技師・阪谷良之進の文章では、当初の建物の多くが失われたり改造されたりする中、

金閣だけが創建以来の姿を伝えている

という趣旨で評価しています。

現在の金閣を見ると「室町時代風に復元された建物」ですが、1928年の人々が見ていた金閣は、義満の時代から存続してきた建築として認識されていたわけです。

ただし、明治時代には大修理も行われていた

もっとも、『金閣小史』自身が修理についても記録しています。

明治37年7月から大修繕を行い、明治39年9月に完成した。

費用は二万二千八百余円だった。

そのような記述があります。

つまり「創建のまま」という表現を、

一度も部材を取り替えず、何も修理されていない

という意味に取ることはできません。

歴史的建造物は修理を重ねながら存続します。

ここで言われている「創建のまま」は、建物として義満時代から連続して残っていた、という意味合いで読むほうが自然でしょう。

少なくとも、「完全に無修理だった」という意味を資料以上に付け加える必要はありません。

そして1950年、金閣が焼失する

ここまで見ると、

「では1939年に国宝だった金閣が、なぜ現在の国宝一覧から消えたのか」

という疑問が残ります。

この点は、現在の文化庁の資料にはっきり書かれています。

1950年、金閣は火災によって焼失しました。

文化庁の世界遺産・鹿苑寺の解説では、

義満の時代から唯一残っていた金閣が1950年の火災で焼失し、

当時国宝だったが、焼失によって指定解除となった

と説明しています。

ここで、1939年と現在がようやくつながります。

現在のデータベースから金閣の国宝建造物指定が消えたのは、

昔から指定されていなかったからではありません。

かつての金閣は国宝でした。

しかし、その建物自体が1950年に失われたのです。

現在の金閣は1955年に再建されたもの

火災のあと、金閣は再建されました。

文化庁の解説によれば、現在の建物が再建されたのは1955年です。

しかも、完全に想像で造り直したわけではありません。

1904年に行われた修理事業の際に作成されていた詳細な図面を使ったため、正確な復原が可能だったと説明されています。

つまり現在の金閣は、

1950年まで残っていた旧金閣を資料に基づいて再建した建物

です。

そのため、建物としての歴史的価値がないという意味ではありません。

世界遺産「古都京都の文化財」の構成資産である鹿苑寺を代表する重要な景観・建築であり続けています。

しかし、室町時代から現存する建築そのものではありません。

ここが銀閣との大きな違いです。

銀閣は焼けずに残った

一方の銀閣。

現在の文化庁データベースによれば、銀閣は1489年の建築とされ、現在もその建物が残っています。

1900年に旧制度下で保護対象となり、文化財保護法施行後の1951年には現在の制度で国宝に指定されました。

金閣が火災で失われた1950年。

その翌年、銀閣は新しい文化財保護法のもとで国宝指定を受けています。

この前後を並べると、現在の違いがかなり分かりやすくなります。

金閣は旧建物が1950年に焼失。

銀閣は室町時代の建物が残り、1951年に現行制度の国宝となった。

現在「銀閣だけが国宝建造物」という状態になっている大きな理由はここにあります。

庭園の指定は金閣焼失より前から続いている

なお、鹿苑寺について文化財指定がすべて失われたわけではありません。

現在も鹿苑寺(金閣寺)庭園は特別史跡・特別名勝として指定されています。

その指定年月日は1925年10月8日です。

これは1928年の『金閣小史』にある記述とも一致します。

金閣の建物が焼失したあとも、寺院と庭園の歴史的価値まで消えたわけではありません。

現在の文化庁の資料でも、鹿苑寺庭園と再建された金閣を含めた景観が世界遺産として説明されています。

「金閣は国宝ではない」は、いつの金閣の話なのか

今回資料を追ってみて、一番重要だと思ったのはここです。

現在、

「金閣は国宝ではない」

と言うこと自体は間違いではありません。

しかし、それだけでは歴史の半分しか見えません。

1939年の国宝建造物目録を見ると、当時の金閣は国宝として掲載されています。

そして文化庁の現在の解説によれば、その旧金閣は1950年に焼失し、指定を解除されました。

現在の金閣は1955年に再建されたものです。

つまり、

昔の金閣と、現在私たちが見ている金閣は、文化財指定の上でも同じ建物として連続しているわけではない

ということです。

ここを抜きに、

「金閣は国宝ではない」

「銀閣だけが国宝だ」

とだけ説明すると、なぜそうなっているのかが見えません。

金閣と銀閣を並べると、文化財の「現存」が見えてくる

金閣と銀閣は、建築史ではよく並べて語られます。

文化庁自身も、銀閣を金閣と並ぶ代表的な楼閣建築として紹介しています。

しかし文化財指定の歴史を並べると、二つは途中で大きく分かれます。

明治時代には、どちらも国による文化財保護の対象になった。

1939年には、どちらも国宝建造物の目録に載っていた。

その後、金閣は1950年に焼失した。

銀閣は残った。

現在の金閣は1955年の再建。

銀閣は1489年の建築として国宝指定が続いている。

こうして見ると、現在の国宝指定は単純に、

「どちらの建物の価値が上か」

を表しているわけではありません。

歴史的な建物そのものが現在まで残っているかどうかという違いが、大きく関わっています。

今回確認できたこと

今回の資料を並べると、流れはかなりはっきりします。

1917年の『特別保護建造物并国宝目録』には金閣が載っています。

1939年の『国宝建造物略説目録』には、金閣と銀閣の両方が国宝建造物として掲載されています。

金閣については明治30年12月28日、銀閣については明治33年4月7日という日付が記されています。

そして現在の文化庁資料では、

金閣は1950年に焼失し、当時の国宝指定が解除された。

1955年に現在の金閣が再建された。

と説明されています。

一方、銀閣は現在も室町後期・1489年の建築として残り、1951年6月9日に現行制度の国宝に指定されています。

したがって、

「金閣は昔も国宝ではなかったのか」

という問いに対しては、

いいえ。焼失前の金閣は、旧制度のもとで国宝建造物として扱われていました。

ただし、その「国宝」は現在の文化財保護法による国宝とは制度が異なります。

そして、その建物は1950年に焼失しました。

現在私たちが見ている金閣は、その後1955年に再建された建物です。

1939年の目録と現在のデータベースが違う理由は、そこまで追うとようやくつながります。

今回確認した資料について

この記事では、1939年刊『国宝建造物略説目録』、1917年刊『特別保護建造物并国宝目録』、1928年刊『金閣小史』を確認しました。

現在の指定状況と金閣焼失後の経緯については、文化庁の国指定文化財等データベースおよび世界遺産「鹿苑寺」の解説を確認しました。

なお、1939年当時の国宝保存法による「国宝」と、1950年制定の文化財保護法に基づく現在の「国宝」は同じ制度ではありません。

そのためこの記事では、時代ごとの制度を区別して記述しています。

参考資料

  • 国指定文化財等データベース(文化庁)

  • 文化遺産オンライン「鹿苑寺」

  • 『国宝建造物略説目録』古建築及庭園研究会編、1939年

  • 『特別保護建造物并国宝目録』黒板勝美編、1917年

  • 『金閣小史』鹿苑寺編、1928年

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